教育
2008年01月13日
駅伝大会
今日は焼津市の駅伝大会。
バレーボールのスポ少に在籍する3女は、スポ少の部で3区を任されたようです。
いつもお父さんが釣りのために通っている焼津港の奥まで行って折り返してくるコース。
持久走の得意なお母さんと長女、、、小学校から中学、高校っと駅伝の応援で楽しませてもらいました、、、、お父さんと2女は、長距離は苦手、、、、じゃあ、3女は?
・・・・・・・・・「来たぁー! 軽快に走ってる!楽しんでる?」
予想に反して、長女の様なストライド走法で、、、。
「ガンバレー!ガンバレー!余裕だ!余裕!ガンバレー!」
結果は何と、” 3位 ” 、、、銅メダル!
小学校では、未だに持久走大会の順位も着けれない腐った環境を維持しているので、、、、こんな大会への参加は、精神衛生的に非常によく、清々しい!
国も教育委員会も教職員も、教育というか、人間が成長していくために必要な環境、意味、モラルについて自分の考えをも発言できないようになってしまっている。・・・・なんとも恥ずかしい大人の職場!
心の奥底に強い心を持った人間になるため、、、自分自信を信じれる人間になるため、、、人に対して優しいことをしてあげることより、人を思いやるために本気になって考え、対処してあげれることこそが本当の優しさということが分かる人間になるため、、、、、、応援していきます♪
バンザーーーーーイ!。
2007年07月19日
勝ち馬を選ぶ少年の心
「現在の日本では、野球、サッカー、バレーボール、バスケットボールなど、多くのスポーツで少年時代から全国大会が開催され、厳しく勝敗が追及されています。 小学生の年代から、全国大会を筆頭に都道府県大会、市町村大会まで公式戦が整備され、常に順位や成績が競われている国は、恐らく世界では日本だけだと思われます。」
確かに、そうですね。 でも、地区大会から全国大会に繋がる試合って実はそのスポーツ競技の発展・普及には大変大事だとも考えます。
現在の学校では病的のように生徒同士を競わせなくなった環境からすると、順位や成績が競われる環境は、大変必要で意味のあることだと思います。 しかし、そうはいっても世の中には、スポーツをやらない子もいますんで、その子たちにも、学校での順位、成績を昔のようにシッカリとつけるようにしてあげたい。
順位がつくのも、勝つのも負けるのも、それによって起こる心の動きも、、、人にある、向き、不向きも、、、大人の人間になるために少年期のうちに経験しなくてはいけない、大変大事なことと考えます。
本来、子供ってのは、大人に成る途中の人間であるのに、、、、全く免疫力の無い、子供という新しい生き物になってしまってきているように思われます。
各スポーツ団体の行う全国大会に繋がる大きな大会は残してもいいが、各地区主催の大会をもっと減らすことによってそのバランスをとって欲しいと考えます。
そして、強制的に全ての大会に出なければならないではなく、、、、「うちの団体は今回、団の別の行事を行うので大会は参加しません。」、、、みたいな事が言えるようでもなければいけないとも思われます。
それじゃ運営に影響が出てしまうんじゃ?・・・可能性はありますが、、、まず、団体発足からのひとつひとつの優先順位、、、本来の目的、、、考えて欲しいものです。
2007年07月13日
スポーツではトンビがタカを生むことはない。
スポーツではトンビがタカを生むことはない。
「少年スポーツとは、生まれつきの速筋が多い子が活躍できるようにできている場なのです。」
確かに、どんなスポーツでも大概はまず、足の速い子を選び、その中で技術を学ばせ、、、持久力もつけていく、、、っていう流れは、子供のうちからあるのも紛れもない事実ですね。
「小学生時代のスポーツでは、生まれもった力によって勝敗は簡単に左右されてしまうのです。 私たち大人は、子供に努力の価値を学ばせる責任があります。 その一方で、スポーツの世界には”生まれつき”という、不平等極まりない現実が横たわっていることも認識しておく必要があります。 夢も希望もなくなるようなことをあえていうなら、走るのが遅い子は、どんなに努力しても絶対にJリーガーにはなれません。 努力すれば何事にも道は開けるはずといくら叱咤してみたところで、生まれつきの筋力の組織は変えることができないのです。」
確かに「生まれつき」に優れた子はいますし、優れていない子と同じように指導していけば、優れている子の方が確実によくできるでしょうが、、、。
しかし、前にも言いましたが、バレーボールはちょっと違うんですね。 もしかすると、サッカーも野球もバスケもそうかもしれません。 小中学生の団体競技の世界なら「トンビがタカに勝てるのです。」 但し、メンタル指導、技術指導などができる一部のチームのみでしょうが、、、。
この本では、余り触れられていませんが、小学生の男子と女子、それぞれの持つ本質的な能力から、指導内容、指導方法が考えだされていることもあるんですね。 女子小学生だから厳しい指導をするし、男子はまた別の方法をってのはスポーツ指導の世界では当たり前でもありました。 全てがいいこととは思いませんが、指導に必要な大事な部分も含まれていることも事実でしょう。
高校女子サッカーや高校女子ソフトボールの選手を見れば解りますよね。 見た目もそうですが、中身も練習も、男のようにではなく、男以上の練習をしているんです。
指導によるものだけではなく、女としての本質的な能力にある”凄さ”みたいなものが、その本人に発見され、新たなる女子スポーツの文化を作り始めているようにも思われます。
小学生に必要かは?ですが、この女子の凄さに気がつき、それに伴った厳しい指導方法が、今までの小学生女子バレー指導だったように思います。
子供だから、小学生だから、っといった反面、各スポーツではトッププレーヤーの低年齢化も進んでいることも事実です。
お教室でありながら、競技型も意識し、面白く、厳しい環境を作り、子供の心、体に負担のかからない年齢別による練習回数、練習量の設定の必要性。 それでいて、スポーツ少年団とか、部活のように試合優先みたいな発想を止め、小5でも、小6でも、中1でも中2でも、いつでも始められ、1から指導される、新たなるセクションを築きたいと考えます。
現状あるバレーボールルールに則ってやると「アーダ、コーダ」言ってくる腐った奴らがいるなら、技術的にはバレーボールの動作をしても、バレーボールにはない新たなスポーツをつくり、仲間を集めたい。 技術ができていれば、その後はバレーボールもできるし、、、。
実はルールは、前から考えていたんですよ。。。
2007年07月09日
チャンスを与えられなければ成長できない。
「現在のスポーツチームでは、レギュラーとそれに準ずる子供のレベルに合わせた活動が主体となり、そうでない子供には公式戦出場のチャンスはもちろんのこと、個々のレベルアップのための適切な練習さえ組まれないことが多いのです。」
「ともあれ親たちは、まず、自分の子供がスポーツの組織、チームに所属さえしていれば必ずスポーツの恩恵を得られるはず、という考えを改める必要があります。そして次に我が子のスポーツチームの活動が、競技スポーツとして成績だけを追い求め、一部の運動能力が優れた子供だけに十分な環境を与えているものではないか、見つめ直す必要があります。 もし、そのスポーツチームが、一部の運動能力の高い子供ばかりに恩恵を与えるような活動をしているのなら、あなたの子供がそこから成長発達に好ましい影響を受けることはあまり期待できないでしょう。」
まさに、、、って感じですね。 しかし、前にも云ったようにバレーの場合はゲームをするためにまず、ボールを”拾う”、”触る”、”打つ”ための幾つかの術を習得しなくては、やんわりともゲームはできません。 しかし、面白い?のが、運動能力だけでボールを拾える子供は当初、活躍したように見えますが、、、、何ヶ月か過ぎた頃にはコツコツとやってきた運動能力のあまり無い子供の方が正しくっていうか、確実に術を習得して、、、運動能力のある子より活躍する場合があるということ。
逆に運動能力があることによって基本的な練習が巧く出来ないため、いつか、どこかで壁にぶつかり、、、、、近くにいる指導者はその子供の運動神経に頼って何も指導してきていないのに、出来なくなると、、、、「何でカブって打つ!」、「何っやってるんだ!」 って突然、教えてもいないのに子供の責任を追求?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・よく見かけませんか?
実際、運動能力のある子供も可哀相で、この指導者への不信感は”バレーへのやる気”にも”精神衛生的”にも決して良いものじゃありません。
子供たちのレベルよって分けられるような生徒の人数、指導環境があるなら分けて練習した方が良いとおもいます。 しかし、どっちにしても競技スポーツには試合に出る選手の人数、登録人数ってことも決まっているので、試合に出ない選手もいますし、常時試合に出ることのみがスポーツ競技の全てでは無いとも考えます。
この本では試合に出れないことがチャンスを与えられていないと勘違いしてしまいそうな言葉もありましたが、実際、みんなで同じ練習をして、、、試合とは試合に出る選手だけで構成されてはいないということ、、、、チーム全体が平均して技術も習得できているということが頭でも体でも理解していればそんな発想にはなりにくいとも考えますし、、、、その上でチャンスうんぬんについて云うことは個々の競争力において最小限必要なことではないでしょうか?
子供たちが自分の発想でプレーすることと、監督として試合を闘うといった試合運びも実際にはあり、
”ヤラされている”という観点とは別に、選手以外でのスタッフ、監督同士の戦いといったことも同時にあるようにも思います。
みんなで話し合って練習しているか、適当ではなくチャンと指導されているかは
選手を見ても、、、、、、指導者の発言を聞いても
、、、、、一目瞭然。
2007年07月07日
脳の予備電流を引き起こす、読みと集中力
脳の予備電流を引き起こす、読みと集中力
「次の動作を予測して、そのために”構え”の姿勢をつくっているとき、脳の中では、すでにその動作に必要な筋肉に指令を送るための電気的反応が起きていることがわかっています。」
「スポーツのトレーニングを積むと、このように予測の力を働かせ、実際に動き出す前に体の中(脳の中)で準備を整えておくことができるようになります。 次はどう動けばよいかということを、先回りして考える力が身に付くのです。 人間としての神経の伝達スピードは同じなのに、実際の動作になると一般の人よりスポーツでトレーニングした人が機敏になるのは、こうした理由があるからです。 言い換えると、ただ、体を動かすのではなく、予測、判断といった部分を十分に働かせないと、スポーツに必要な機敏な動きは身に付かないのです。 子供にスポーツをさせるときも、この点を忘れてはいけないのでしょう。」
予測、、、大事ですよね。 バレーの場合は”騙しあい”みたいでもありますから、相手を予測して動き、、、そしてその、裏の裏までも考えたりと、、、。 相手は人のいないところ、、、、相手の思っている逆をって、、、、相手コートのネットの上から床に叩き込まれるボールを拾い、繋ぐ、、、、。
バレー経験のある男子はサッカーや野球なんかをかじったこともありますが、最近のサッカーや野球をやっている子供たちはバレーをやったことあるのかな? 結構、難しいんですよね、ボールを繋ぐって、、、。
この本から抜粋させてもらっています、、、、、解りやすいですよ。是非に!
2007年07月06日
ゴールデンエイジと動きのひな形づくり
ゴールデンエイジと動きの 「 ひな形 」 づくり
ゴールデンエイジって?・・・・→ゴールデンエイジの概念
「神経系に機能は、10歳で大人のほぼ90%近くまでに発達してしまうということです。 だからこそ、その神経系の動きに最も深く関係する「巧みさ」のトレーニングは、ゴールデンエイジと呼ばれる10〜12、13歳くらいのときに集中して行う必要があるのです。」
「サッカーの研究も水泳の研究も、ゴールデンエイジにスポーツの動作の”ひな型”が出来上がってしまうことを伝えてくれています。 少年時代のスポーツでは”力強さ”や”粘り強さ”よりも、”巧みさ”を特に刺激しておくべきである」
ゴールデンエイジの時期に「巧みさ」を習得できることは、過去、男子小学生バレーを見てきた方にはうなずけるんじゃないでしょうか? 体が小さくて、体力的にも、筋力的にもまだまだ立派な子供なのに、高校生顔負けの全日本チームのような技術、巧みさを見せていました。 始めて見たときは、ホント驚かされました。 だからって、行き過ぎの指導や、詰め込み指導していたわけではなかったようです。。。。まさに、神経系機能90%の習得、ひな形の習得だったのでしょう。
しかし、ここ10年間くらいバレーボールをしている小学生を見ていると全然別の種類の子供たちになってきてしまっているようなんです。 ゴールデンエイジについてよく考えてみると、11、12歳になってから、どうこうってことではなく、その年齢までにどう「心と体」を作ってっていうか、使ってきているかってことが大事なような気がしてきました。
昔の子供たちは普通に暮らし(遊び)てきて11、12歳になると殆んどがゴールデンエイジになっていたようで、巧い下手はあっても簡単に色んなスポ−ツが始められていたように思います。
単一小学校のみからなるスポ少でバレーボールをやり始めた10人足らず小学校3、4年生の女子を見ると何か、走り方が変だったり、歩き方まで、、、。 ステップを教えても?腕立て伏せは殆んどの子供がゼロ回。 出来るできないはあっても、、、、何か、違うような。
でも、バレーボールをするために?スポーツをするため?に必要な運動、動き方を少しずつ続けると体力が付いてきて、、、バレーの場合はサッカーやバスケよりも少し難しいパス、レシーブ、サーブなどの練習を繰り返し続けなくてはなりません。
他のスポーツのように楽しさを前面に出して楽しいゲーム方式をしながらではプレーをするために必要な”術”であるパス、レシーブ巧く習得できず、、、出来ないままゴールデンエイジの時期に入ってしまうと神経機能が90%に達していても、「巧みさ」どころではなく、プレーする術である技術の習得能力も余り進まなくなっているようでした。 最悪なのは5年生ぐらいから始めた子供がもう少しで ”術”を習得し、これから、巧みさ、ゲームの面白さを学ぶってときに中学に入ってしまい、出来ない1年生は1年以上玉拾いを続け、全く指導はされず、ようやく2年生の夏過ぎにボールを使って練習が始められても相変わらず指導は無く、しまいにはデキル下級生が入ってきて、、、また、応援団。。。。そして、最悪は、、、、、退部。
・・・・・・難しい問題です。
競技型でない指導の意味は解りますが、バレーボールの場合は最低限ゲームができるための技術っていうか、術を習得しないと、やんわりともバレーが出来ないようです。 それでもたくさんの子供たちを集め、長〜い、スパンをかけてゆっくり指導していけば、確率的に運動神経のある一部の子供たちがデキルようにはなるんでしょうが、それ以外の子、運動神経の劣る子供はいつまで経っても変わりません。 いつしか、多感な時期にさしかかり技量と現実を見据えて辞めていったりと、、、。
小学校3、4年生の頃、週3〜4回の練習(体力作りと基本の練習)を1年ぐらいやってからバレーの技術、術を学び、そして5年生から6年生にかけて多少練習日数を減らしても次に「巧みさ」を身につける練習をすれば、ちょうど30年ぐらい前のゴールデンエイジと同じくらいになるんじゃあ?って思います。
また、コレには凄い利点があって運動神経の余り無いという子供たちも十分に選手になれるくらいの「巧みさ」を習得できるんです。
当然、多少は指導にもよるでしょうが、バレーボールの良いところと考えます。 但し、その環境は指導者のみならず、理解ある大人の支え無しには実現しません。 また、理解の無い大人にかき回され続け、泣かされ続けている声も後を絶たないようですが。。。。。。
2007年07月04日
スポーツで自分に自信が持てるのか?
スポーツで自分に自信が持てるのか?
「 小・中学製を対象にした研究でも、ほぼ同様の傾向が示されています。 つまり、スポーツを長く継続している少年ほど、自分の行動に対して肯定的な結果予測をし、スポーツに対する有能感も強くなるのです。 こうした心理の傾向は、スポーツをしている人(少年)の積極性、自信、おおらかさ、あるいは心の強さ、といった形で人々に認知されているのでしょう。」
「 スポーツを通じて ”有能感” を獲得させるためには、子供の力量にあった環境を与えること、あるいは活動内容を工夫することが欠かせないのです。 成長発達や経験レベルに合わせた環境が用意され、能力に応じた成功体験ができれば、それぞれが自分なりの ”有能感” を持つことが出来るでしょう。 それはやがて、スポーツを継続していく意欲に繋がるはずです。 」
スポーツは「良い子」を育てるか2007年07月03日
スポーツマンの性質は好ましいものか?
「ある大会に参加した小学生から大学生までの水泳選手を対象にした、競技成績と情緒の安定度の関係を見た研究結果があります。 競技に関して不安を抱く割合が最も低かったことが示されたのが、その大会で2位になった選手たちでした。次に不安を抱く割合が低かったのが1位になった選手たちで、以下、3位になった選手、4位にになった選手と進み、不安度の低さと順位は、ほぼ正反対の相関関係を描いていました。 ここでもやはり、スポーツで好成績を収める選手が、情緒的に安定していることが示されています。」
「運動の好きな人、スポーツを行う人は概して社交的であり、適応力が高いといった傾向があり、特に高い競技成績を上げる人には、情緒的に乱れることが少ないということがわかります。 こうしたスポーツマンの精神面の特性は、スポーツ以外の分野においても概して好感を抱かれるものでしょう。 そして、運動・スポーツを行う人たちの多くがこうした特性を示すからこそ、親は我が子にもスポーツを通じて同様の特性を見に付けて欲しいと願うのでしょう。」
「競技スポーツで好成績を残す人は、
心のコントロールも上手であることは確かなようです。」
オリジナル小説発表 |
2007年07月02日
失われるスポーツをする機会
地域のクラブでさえも、Jリーグの下部組織のように本格的に競技化した活動を行うようになっています。 週末には必ず試合を組み、勝利を目指して徹底して勝つための方法を訓練しています。 夏休みや春休みの合宿、遠征もあり、子供はまさに本格的な「競技者」となっていきます。 このように勝利を第一に掲げて競技として先鋭化していけば当然、動きの鈍い子、発達の遅い子、つまりチームの強化に貢献できない子は、試合の出番を失うなどして冷遇されてしまいます。 そうした子供たちは自然にチームを離れていくようになり、高学年になってチームに残っているのは運動神経の高い子、あるいは体格の発達の早い子ばかり、ということになります。
合宿、、、してましたねぇー月に1回ぐらいしてたでしょうか? バレーボールもサッカーと同じですね。 まさに、、、って感じですね。 定期的にチームの友達や他のチームの友達と一緒にお風呂に入ること、一緒に寝ることって今、一般的には余り無いと思うんで唯一の楽しみになっていたようです。
バレーも中学や高校では運動神経重視というか、今出来る子重視といった感じでそこからの指導、成長を期待するような練習は余り見受けられません。
可笑しい話ですが弱いチーム、初心者や技術の発展途上の子供が多く、これからの指導が必要なチームほど、、ほったらかされ、特待生や技術や運動能力の備わった子の多い上位チームは基本からもう一度しっかり指導されている。 こんなことがまかり通って当たり前になっていて本当に良いのでしょうか?
指導によっては運動能力の少ない動きの鈍い子でも運動神経のいい子に勝るとも劣らない素晴らしい選手になれることがバレーボールの良いところと考えます。
攻撃力が弱いと、、、、「あんなチームはダメだ」っと短絡的な見方をする指導者も多く、そのチームの練習内容、子供たちの意識、レシーブ力の変化を見てよーく考えてもらいたいものです。
勝利第一主義の競技化体質以外にも、もっと大きな問題があるように思われます。
「あのチームに残れなかった多くの子供たちはどこでサッカーをしているのだろう?」
少年スポーツの活動内容の競技化、専門化が著しく進んでしまった結果、走した環境に適応できる運動能力に優れた子供は体力を伸ばしているものの、そうではない子供は早々にスポーツをする機会を失ってしまい、年々、体力を低下させていると推測できるのです。 サッカーを筆頭に競技化、専門化しすぎた少年スポーツが、子供の体力の二極分化という現象を助長する原因になっているのではないか?
その通りですね。 しかし、問題の根底はカナリ深いと感じます。 たとえば近くの小学生バレーは学校単位のスポ少しかない、そこに馴染めなくては他に行く場所が無い。 市の協会も”小学生のバレー=スポ少”、、、、なんで小学生の部として、その中に、スポ少、クラブ、同好会みたいに分けないのか?
スポ少やクラブの生徒でも未登録の同好会に参加するのは自由なのに、、、公式戦規定にはまらない場所で自由にバレーが出来ないっていうか、、、馬鹿げたチャチャが入る。
子供の体力の二極分化には小学4年生ぐらいまでの学校生活、家庭生活、地域生活のによるスポーツ離れによりゴールデンエイジを迎える前の大事な時期に体力作りが少ないことが考えられます。 30年前は4、5年生まで普通に生活していってスポーツ団体に入る以前にゴールデンエイジ予備軍となっていた子供たちは今より遥かに多かったように思います。 面白いゲーム機が増えていることも問題のひとつかとも思いますが、近くの公園、公会堂、広場にビッシリいるグランドゴルフをする団体も問題でしょう。。。。遊ぶ場所が無いんです。
子供会でやったいたソフトボール、ポートボールは低学年からの体力づくり、人間関係育成には最も効果的だったように思われます。 当然、野球をやっている子は目立ちましたが、それなりに役割分担もでき、試合に出れない子、低学年の子はいつかはって想い、、、上手な子は出来ない子を指導したり、、、当然地域の大人もお手伝い、、、。。。。学校が終わるとグローブとバットを持って、、、。
当時は今よりも子ども会行事は学校行事のようでした。 最近では厳密に言えば、子ども会行事と学校との関係はスポ少と同じらしい。 だから、学校側から子ども会行事を推奨する発言をするにも複雑な問題があるようです。 子ども会=特定の小学校の学区内に住む小学生を対象にした地域の団体、、、、しかし、強制力は無く、、、、スポ少と同じなんです。
競技型が悪いとは思いませんが、競技型ともクラブとも同好会とも違った新しいセクションの中での新しいバレーを模索していきます。。。ルールも作り直し、、、新たなバレーみたいなものならいいのかな? 7人制バレーを作った気持ち、9人制全国大会エンジャルカップを作った気持ちがよーく分かってきたような気がします?
普通とされる子供たちのスポーツする、、、機会、する場を、、、。
普通も普通じゃなくても一緒にできる術は無いものか、、、?
子供も大人も一緒に出来る競技はないものか?
つづく
2007年06月29日
大人のエゴに左右される子供たち。
著:永井洋一さんの「スポーツは良い子を育てるか」を読み感銘を受けこの本を参考に小学生スポーツ、小学生バレーについて考えていきたいと思います。
「本来、チームで統一した髪型を強制すること自体が人権無視の異常な行為であり、ましてや小学生の女の子にスポーツ刈りを強制することなどナンセンスの極みであるということを、真っ先に指摘するべきはスポーツ刈りを強制された少女たち本人であり、その姿を異常だと感じる親たちであるはずです。 ところが、本人たちからも、親たちからも、表だっては苦情が出されてはいません。 ですから少女たちのスポーツ刈りは、さほど世間を騒がせることもなく、今では歴史の一コマになってしまいました。」
やってましたねぇー。 さすがにスポーツ刈りじゃ、ありませんが短髪は確かに!定期的に泊まりで練習?合宿にいってましたから、女子なのにお風呂に入る時は男子ロッカーの鍵をもらうのは常、女子風呂に入ろうとすると「男子はあっちだよ」って。
確かに大人のエゴっていったらそれまでですが、私の考えはバレーボールっていうか、スポーツは男子○○、女子○○じゃなくてひとつのバレーボーラーというような概念があり、 汗をビッショリかき、全員でお風呂を入る機会も多く、みんなで同じ時間を共有するときにひとりだけ1時間もドライヤーをかけたり、最終的に人に迷惑を掛けたり、嫌な思いをする可能性があるなら、、、、”カッコイイバレーボーラー”とはって感じで短めの髪型を推奨していました。
確かに大人のエゴでした。 しかし、この問題こそ、日本ではタブー化された大問題ではって考えます。 仏教に始まる宗教的な髪形、軍国主義と勘違いするような義務教育である公立中学の丸ボウズ頭、高校野球のボウズ頭。 どれも行き過ぎのような気持ちもありますが、最近の教育問題を考えると一概に軍隊式の整列、制服、髪型なども100%ととはいきませんが日本の文化としていいこともあったのかとも考えざるをおえません。
女子のスポーツ刈りやボウズ頭には多少なりとも?な面はありますが(男子でも)、ただ大人のエゴとして片付けるのも?と感じます。 何年も前にある意味私から短髪を強要?された子供たちは今も短い髪型をカッコイイと感じてか、続け、その髪型を下級生や他のチームの子供たちも憧れてか、広まっているようです。 私自身が偏っているのでしょうが、どうみても女性としても格好よく、髪型も女性としても素敵と考えます。 ひとりくらい違った髪型をしている人もいていいと思いますが、社会から見ても、火を使うような仕事の人が引火しやすいような髪型が”危ない”、”合っていない”と思うことと同じように考えることは純粋に自然な発想とも考えます。
そうは云っても高校バレー全国大会女子決勝のスポーツ刈りチームを見たときにはさすがにビックリしたのも事実です。 しかし、変わった発想の指導を受けたいと思ったならそれもいいと思います。 過去、色んなスポーツ競技で優秀な成績をあげた日本人特有の新たなる発想で難局に立ち向かう精神のひとつかもしれません。
余り否定的な発言や揚げ足取りみたいな発想をするより、まず好意的に考えるような大人の見方をすることを薦めます。 人は間違いもしますが、間違う人、迷う人こそより進歩、成長する人でもあるのでは?
大人がまず自分の精神状態を把握、分析できるか、、、責任を伴う発言、行動できるかってことが大事になってきますかね♪
「ここから先は想像ですが、報告される体罰や暴力は、たぶん、負けてしまったチームの親、あるいはチーム内でレギュラーを逃してしまった子供の親、何らかの事情でチームを辞めた子供の親から告発されたものでしょう」
つづく
スポーツは「良い子」を育てるか2007年06月28日
少年バレーの歪んだ世界。
今、読んでいる 「スポーツは良い子を育てるか?・・・(永井洋一)」 は読めば、読むほど納得することが多い。 競技型スポーツが蔓延している少年団、クラブチーム、部活動。 そしてその指導内容、、、。 まさに、今までの自分のやってきた指導、、、、自分のエゴ。。。そのもの。
まぁ、自分はイケイケだから、アレもコレやって目立ち過ぎて、いい気になって人様に迷惑を掛け、今に至るわけですが、、、、、。
この本とめぐり合って、、、、、スポーツの本質、子供の体力、子供の成長、指導内容、運動神経と子供、ゴールデンエイジとバレーボール、スポーツに接する大人の考え、親の考え、1スポーツ団体とは、地域スポーツ団体とは、部活動とは、指導・教育と日本の歴史・文化・宗教との係わり、管理したがる協会、バレーボールとは、、、、などなど、この本を読みながら深ーく掘り下げて考え、アップしていきます。
日々、修正、精進、反省しながらも、自分のDNA
を信じ、自由な発想で新しいバレーを創造し、追い求めていきます。
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