スポーツ
2007年07月19日
勝ち馬を選ぶ少年の心
「現在の日本では、野球、サッカー、バレーボール、バスケットボールなど、多くのスポーツで少年時代から全国大会が開催され、厳しく勝敗が追及されています。 小学生の年代から、全国大会を筆頭に都道府県大会、市町村大会まで公式戦が整備され、常に順位や成績が競われている国は、恐らく世界では日本だけだと思われます。」
確かに、そうですね。 でも、地区大会から全国大会に繋がる試合って実はそのスポーツ競技の発展・普及には大変大事だとも考えます。
現在の学校では病的のように生徒同士を競わせなくなった環境からすると、順位や成績が競われる環境は、大変必要で意味のあることだと思います。 しかし、そうはいっても世の中には、スポーツをやらない子もいますんで、その子たちにも、学校での順位、成績を昔のようにシッカリとつけるようにしてあげたい。
順位がつくのも、勝つのも負けるのも、それによって起こる心の動きも、、、人にある、向き、不向きも、、、大人の人間になるために少年期のうちに経験しなくてはいけない、大変大事なことと考えます。
本来、子供ってのは、大人に成る途中の人間であるのに、、、、全く免疫力の無い、子供という新しい生き物になってしまってきているように思われます。
各スポーツ団体の行う全国大会に繋がる大きな大会は残してもいいが、各地区主催の大会をもっと減らすことによってそのバランスをとって欲しいと考えます。
そして、強制的に全ての大会に出なければならないではなく、、、、「うちの団体は今回、団の別の行事を行うので大会は参加しません。」、、、みたいな事が言えるようでもなければいけないとも思われます。
それじゃ運営に影響が出てしまうんじゃ?・・・可能性はありますが、、、まず、団体発足からのひとつひとつの優先順位、、、本来の目的、、、考えて欲しいものです。
2007年07月18日
ほとんどが、ただの人になっていく。
「 全国少年大会で注目されても、全国中学生大会で優勝したチームの一員でも、超高校級と騒がれた選手でも、プロとして選手生活を送れるのは、ほんの一握り、いや ” 一摘み ” であると表現したほうが適切でしょう。 プロの世界に入っていける人は限られていて、仮に入ったとしてもそこで生きていける人はもっと限られてしまいます。」
「 99%の子供は、たとえ少年時代に大活躍していても最後には「ただの人」になるという現実を、1%のプロへの夢を持つ一方で、私たち大人は認識しておくべきです。」
子供たちには、「君たちは、現役のバレーボーラーだから、、、」って言ってましたね。 「一握りかも知れないけど、宝くじに当たる確率より少ないかもしれないけど、皆、可能性は持っている」ってことも。
また、何年後かに、技術も体系も変わるであろうことも考えて、できる子、運動能力のある子、体の大きい子ばかりでなく、体の小さな子、運動神経の余りない子、非力な子への指導の必要性、指導方法を常に心に置くべきだと思います。
そして、保護者には、可能性はあるものの、上記にあった「ただの人」についてシッカリと頭に叩き込んでおいて欲しい。
それによって、子供との「話し方」、「接し方」、「家庭環境」、、、、
「スポーツを習う環境」、「子供の発想」、「保護者自信の発想」、、、、、
、、、、、、「指導者の発想」、「子供の心のゆとり」、、、、、
2007年07月12日
優勝劣敗の信仰から生まれる歪んだ人間性
いつの世にも、どの種目でも、試合に勝つ方法がよい方法として次代に受継がれていきます。 勝つためによい方法が残され、勝てない方法は廃れていきます。 こうした経緯から、スポーツでは必然的に 「優勝劣敗」 という概念が表面に出てきます。
より優れた能力を持ち、より多くの努力をし、より幸運に恵まれた者が勝つことで、スポーツは発展してきました。 今後もスポーツは優勝劣敗の概念の中で発展していくでしょう。 しかし、この優勝劣敗という概念は、少年期スポーツには十分に注意して導入する必要があります。
たいていの監督、コーチはあからさまにしませんが、口では 、
「みな平等」「頑張れば誰にでもチャンスはある」 といっているはずです。
言っている本人はそれで子供が納得していると思っているんでしょうが、子供のほうは現実をシビアに見ています。
優勝劣敗の勝つ側、優れた側に立っているときには、なかなか負ける側、劣る側のことについては意識がいかないものです。 ところが、一生、勝つ側、優れた側にとどまれる人は限られています。 多くの人は、明日は負ける側、劣る側に回るということも忘れてはいけないのです。
今、小中学校では”自由”という概念について真剣に考えた上で発言をされているのか、、、、不安に思う。
集団生活の中での個人のルール、集団でのルール、上級生、下級生とのルール、教職員とのルール、大人とのルール、地域でのルール、、、っと色んな関係の中、ルールを守りながら、、、しかし、、、たまには破ってしまったり、、、怒られたり、、、、泣いたり、、、笑ったり、、、 反省したり、、、っと。
人の話を聞くときに話している人の目を見るとかも?話している人の方を向くことも?向いていてもクニャクニャした姿勢で髪の毛をいじりながら、、、。
返事をすることも自由なのか、、、したような、、、していないような、、、。
言われたことを次にすぐやるとき、必ずといっていいほど解っていてもわからない振りをしたり、やりかけて止めたり、、、しまいには、おちゃらけて笑ってダラダラっと。
何が悪いんでしょうか?・・・子供が悪いんでしょうか?
”自由”が世の中に蔓延って、”強制”されるとか、”集団で統一” が何処かに追いやられてしまったのです。
現在では聞こえは悪いかも知れませんが、いいこともたくさん有り、大人になってから、そんな環境で学びたくてもナカナカできませんし、子供の時期だからこそ、そんな環境での経験が必要だと考えます。
団体競技スポーツをやられてきた方は分かると思いますし、運動会での縦割りチームでの喜び、悲しみも同じでしょう。
では、何故?
そう、過去の小中学校指導での、挨拶、整列、行進や強制された坊主頭の中学生で現されているようなことが、宗教的なものなのか?軍隊式なのか?っていうことが日本人お決まりのタブー化とされてしまい、論議も無く、追いやられてしまったために、世間に受け入れやすい”自由”が入り込んでしまったように思います。
スポ少やクラブチーム、競技型スポーツの指導で行われている、古く言えば軍隊式の挨拶、整列も大人の一人として、一度は子供たちに味合わせてあげたい。
そして、仲間と頑張ること、我慢すること、心から喜ぶこと、悲しむこと、、、ハキハキする時間、ダラダラする時間、一緒にバカなことをして恥ずかしい思いをすること、、、、、、などを。
家族より、、、バレーより、、、、何より仲間が大好きだった、何十年か前のあの気持ちを子供たちに感じさせてあげたい。
優勝劣敗もあるでしょうが、それとはカナリ時限の違う話。
厳しい環境で練習しないと、、、もしかしたら、、、いつまで経っても、楽しいバレーは出来ないかも、、、、一生。
厳しくても、ツマラナイ練習、面白くない練習では、いけません。
やはり、発創なんだけど、、、わっかんねぇーんだろーなぁ!
2007年07月07日
脳の予備電流を引き起こす、読みと集中力
脳の予備電流を引き起こす、読みと集中力
「次の動作を予測して、そのために”構え”の姿勢をつくっているとき、脳の中では、すでにその動作に必要な筋肉に指令を送るための電気的反応が起きていることがわかっています。」
「スポーツのトレーニングを積むと、このように予測の力を働かせ、実際に動き出す前に体の中(脳の中)で準備を整えておくことができるようになります。 次はどう動けばよいかということを、先回りして考える力が身に付くのです。 人間としての神経の伝達スピードは同じなのに、実際の動作になると一般の人よりスポーツでトレーニングした人が機敏になるのは、こうした理由があるからです。 言い換えると、ただ、体を動かすのではなく、予測、判断といった部分を十分に働かせないと、スポーツに必要な機敏な動きは身に付かないのです。 子供にスポーツをさせるときも、この点を忘れてはいけないのでしょう。」
予測、、、大事ですよね。 バレーの場合は”騙しあい”みたいでもありますから、相手を予測して動き、、、そしてその、裏の裏までも考えたりと、、、。 相手は人のいないところ、、、、相手の思っている逆をって、、、、相手コートのネットの上から床に叩き込まれるボールを拾い、繋ぐ、、、、。
バレー経験のある男子はサッカーや野球なんかをかじったこともありますが、最近のサッカーや野球をやっている子供たちはバレーをやったことあるのかな? 結構、難しいんですよね、ボールを繋ぐって、、、。
この本から抜粋させてもらっています、、、、、解りやすいですよ。是非に!
2007年07月06日
ゴールデンエイジと動きのひな形づくり
ゴールデンエイジと動きの 「 ひな形 」 づくり
ゴールデンエイジって?・・・・→ゴールデンエイジの概念
「神経系に機能は、10歳で大人のほぼ90%近くまでに発達してしまうということです。 だからこそ、その神経系の動きに最も深く関係する「巧みさ」のトレーニングは、ゴールデンエイジと呼ばれる10〜12、13歳くらいのときに集中して行う必要があるのです。」
「サッカーの研究も水泳の研究も、ゴールデンエイジにスポーツの動作の”ひな型”が出来上がってしまうことを伝えてくれています。 少年時代のスポーツでは”力強さ”や”粘り強さ”よりも、”巧みさ”を特に刺激しておくべきである」
ゴールデンエイジの時期に「巧みさ」を習得できることは、過去、男子小学生バレーを見てきた方にはうなずけるんじゃないでしょうか? 体が小さくて、体力的にも、筋力的にもまだまだ立派な子供なのに、高校生顔負けの全日本チームのような技術、巧みさを見せていました。 始めて見たときは、ホント驚かされました。 だからって、行き過ぎの指導や、詰め込み指導していたわけではなかったようです。。。。まさに、神経系機能90%の習得、ひな形の習得だったのでしょう。
しかし、ここ10年間くらいバレーボールをしている小学生を見ていると全然別の種類の子供たちになってきてしまっているようなんです。 ゴールデンエイジについてよく考えてみると、11、12歳になってから、どうこうってことではなく、その年齢までにどう「心と体」を作ってっていうか、使ってきているかってことが大事なような気がしてきました。
昔の子供たちは普通に暮らし(遊び)てきて11、12歳になると殆んどがゴールデンエイジになっていたようで、巧い下手はあっても簡単に色んなスポ−ツが始められていたように思います。
単一小学校のみからなるスポ少でバレーボールをやり始めた10人足らず小学校3、4年生の女子を見ると何か、走り方が変だったり、歩き方まで、、、。 ステップを教えても?腕立て伏せは殆んどの子供がゼロ回。 出来るできないはあっても、、、、何か、違うような。
でも、バレーボールをするために?スポーツをするため?に必要な運動、動き方を少しずつ続けると体力が付いてきて、、、バレーの場合はサッカーやバスケよりも少し難しいパス、レシーブ、サーブなどの練習を繰り返し続けなくてはなりません。
他のスポーツのように楽しさを前面に出して楽しいゲーム方式をしながらではプレーをするために必要な”術”であるパス、レシーブ巧く習得できず、、、出来ないままゴールデンエイジの時期に入ってしまうと神経機能が90%に達していても、「巧みさ」どころではなく、プレーする術である技術の習得能力も余り進まなくなっているようでした。 最悪なのは5年生ぐらいから始めた子供がもう少しで ”術”を習得し、これから、巧みさ、ゲームの面白さを学ぶってときに中学に入ってしまい、出来ない1年生は1年以上玉拾いを続け、全く指導はされず、ようやく2年生の夏過ぎにボールを使って練習が始められても相変わらず指導は無く、しまいにはデキル下級生が入ってきて、、、また、応援団。。。。そして、最悪は、、、、、退部。
・・・・・・難しい問題です。
競技型でない指導の意味は解りますが、バレーボールの場合は最低限ゲームができるための技術っていうか、術を習得しないと、やんわりともバレーが出来ないようです。 それでもたくさんの子供たちを集め、長〜い、スパンをかけてゆっくり指導していけば、確率的に運動神経のある一部の子供たちがデキルようにはなるんでしょうが、それ以外の子、運動神経の劣る子供はいつまで経っても変わりません。 いつしか、多感な時期にさしかかり技量と現実を見据えて辞めていったりと、、、。
小学校3、4年生の頃、週3〜4回の練習(体力作りと基本の練習)を1年ぐらいやってからバレーの技術、術を学び、そして5年生から6年生にかけて多少練習日数を減らしても次に「巧みさ」を身につける練習をすれば、ちょうど30年ぐらい前のゴールデンエイジと同じくらいになるんじゃあ?って思います。
また、コレには凄い利点があって運動神経の余り無いという子供たちも十分に選手になれるくらいの「巧みさ」を習得できるんです。
当然、多少は指導にもよるでしょうが、バレーボールの良いところと考えます。 但し、その環境は指導者のみならず、理解ある大人の支え無しには実現しません。 また、理解の無い大人にかき回され続け、泣かされ続けている声も後を絶たないようですが。。。。。。
2007年07月04日
スポーツで自分に自信が持てるのか?
スポーツで自分に自信が持てるのか?
「 小・中学製を対象にした研究でも、ほぼ同様の傾向が示されています。 つまり、スポーツを長く継続している少年ほど、自分の行動に対して肯定的な結果予測をし、スポーツに対する有能感も強くなるのです。 こうした心理の傾向は、スポーツをしている人(少年)の積極性、自信、おおらかさ、あるいは心の強さ、といった形で人々に認知されているのでしょう。」
「 スポーツを通じて ”有能感” を獲得させるためには、子供の力量にあった環境を与えること、あるいは活動内容を工夫することが欠かせないのです。 成長発達や経験レベルに合わせた環境が用意され、能力に応じた成功体験ができれば、それぞれが自分なりの ”有能感” を持つことが出来るでしょう。 それはやがて、スポーツを継続していく意欲に繋がるはずです。 」
スポーツは「良い子」を育てるか2007年07月03日
スポーツマンの性質は好ましいものか?
「ある大会に参加した小学生から大学生までの水泳選手を対象にした、競技成績と情緒の安定度の関係を見た研究結果があります。 競技に関して不安を抱く割合が最も低かったことが示されたのが、その大会で2位になった選手たちでした。次に不安を抱く割合が低かったのが1位になった選手たちで、以下、3位になった選手、4位にになった選手と進み、不安度の低さと順位は、ほぼ正反対の相関関係を描いていました。 ここでもやはり、スポーツで好成績を収める選手が、情緒的に安定していることが示されています。」
「運動の好きな人、スポーツを行う人は概して社交的であり、適応力が高いといった傾向があり、特に高い競技成績を上げる人には、情緒的に乱れることが少ないということがわかります。 こうしたスポーツマンの精神面の特性は、スポーツ以外の分野においても概して好感を抱かれるものでしょう。 そして、運動・スポーツを行う人たちの多くがこうした特性を示すからこそ、親は我が子にもスポーツを通じて同様の特性を見に付けて欲しいと願うのでしょう。」
「競技スポーツで好成績を残す人は、
心のコントロールも上手であることは確かなようです。」
オリジナル小説発表 |
2007年07月02日
失われるスポーツをする機会
地域のクラブでさえも、Jリーグの下部組織のように本格的に競技化した活動を行うようになっています。 週末には必ず試合を組み、勝利を目指して徹底して勝つための方法を訓練しています。 夏休みや春休みの合宿、遠征もあり、子供はまさに本格的な「競技者」となっていきます。 このように勝利を第一に掲げて競技として先鋭化していけば当然、動きの鈍い子、発達の遅い子、つまりチームの強化に貢献できない子は、試合の出番を失うなどして冷遇されてしまいます。 そうした子供たちは自然にチームを離れていくようになり、高学年になってチームに残っているのは運動神経の高い子、あるいは体格の発達の早い子ばかり、ということになります。
合宿、、、してましたねぇー月に1回ぐらいしてたでしょうか? バレーボールもサッカーと同じですね。 まさに、、、って感じですね。 定期的にチームの友達や他のチームの友達と一緒にお風呂に入ること、一緒に寝ることって今、一般的には余り無いと思うんで唯一の楽しみになっていたようです。
バレーも中学や高校では運動神経重視というか、今出来る子重視といった感じでそこからの指導、成長を期待するような練習は余り見受けられません。
可笑しい話ですが弱いチーム、初心者や技術の発展途上の子供が多く、これからの指導が必要なチームほど、、ほったらかされ、特待生や技術や運動能力の備わった子の多い上位チームは基本からもう一度しっかり指導されている。 こんなことがまかり通って当たり前になっていて本当に良いのでしょうか?
指導によっては運動能力の少ない動きの鈍い子でも運動神経のいい子に勝るとも劣らない素晴らしい選手になれることがバレーボールの良いところと考えます。
攻撃力が弱いと、、、、「あんなチームはダメだ」っと短絡的な見方をする指導者も多く、そのチームの練習内容、子供たちの意識、レシーブ力の変化を見てよーく考えてもらいたいものです。
勝利第一主義の競技化体質以外にも、もっと大きな問題があるように思われます。
「あのチームに残れなかった多くの子供たちはどこでサッカーをしているのだろう?」
少年スポーツの活動内容の競技化、専門化が著しく進んでしまった結果、走した環境に適応できる運動能力に優れた子供は体力を伸ばしているものの、そうではない子供は早々にスポーツをする機会を失ってしまい、年々、体力を低下させていると推測できるのです。 サッカーを筆頭に競技化、専門化しすぎた少年スポーツが、子供の体力の二極分化という現象を助長する原因になっているのではないか?
その通りですね。 しかし、問題の根底はカナリ深いと感じます。 たとえば近くの小学生バレーは学校単位のスポ少しかない、そこに馴染めなくては他に行く場所が無い。 市の協会も”小学生のバレー=スポ少”、、、、なんで小学生の部として、その中に、スポ少、クラブ、同好会みたいに分けないのか?
スポ少やクラブの生徒でも未登録の同好会に参加するのは自由なのに、、、公式戦規定にはまらない場所で自由にバレーが出来ないっていうか、、、馬鹿げたチャチャが入る。
子供の体力の二極分化には小学4年生ぐらいまでの学校生活、家庭生活、地域生活のによるスポーツ離れによりゴールデンエイジを迎える前の大事な時期に体力作りが少ないことが考えられます。 30年前は4、5年生まで普通に生活していってスポーツ団体に入る以前にゴールデンエイジ予備軍となっていた子供たちは今より遥かに多かったように思います。 面白いゲーム機が増えていることも問題のひとつかとも思いますが、近くの公園、公会堂、広場にビッシリいるグランドゴルフをする団体も問題でしょう。。。。遊ぶ場所が無いんです。
子供会でやったいたソフトボール、ポートボールは低学年からの体力づくり、人間関係育成には最も効果的だったように思われます。 当然、野球をやっている子は目立ちましたが、それなりに役割分担もでき、試合に出れない子、低学年の子はいつかはって想い、、、上手な子は出来ない子を指導したり、、、当然地域の大人もお手伝い、、、。。。。学校が終わるとグローブとバットを持って、、、。
当時は今よりも子ども会行事は学校行事のようでした。 最近では厳密に言えば、子ども会行事と学校との関係はスポ少と同じらしい。 だから、学校側から子ども会行事を推奨する発言をするにも複雑な問題があるようです。 子ども会=特定の小学校の学区内に住む小学生を対象にした地域の団体、、、、しかし、強制力は無く、、、、スポ少と同じなんです。
競技型が悪いとは思いませんが、競技型ともクラブとも同好会とも違った新しいセクションの中での新しいバレーを模索していきます。。。ルールも作り直し、、、新たなバレーみたいなものならいいのかな? 7人制バレーを作った気持ち、9人制全国大会エンジャルカップを作った気持ちがよーく分かってきたような気がします?
普通とされる子供たちのスポーツする、、、機会、する場を、、、。
普通も普通じゃなくても一緒にできる術は無いものか、、、?
子供も大人も一緒に出来る競技はないものか?
つづく
2007年06月29日
大人のエゴに左右される子供たち。
著:永井洋一さんの「スポーツは良い子を育てるか」を読み感銘を受けこの本を参考に小学生スポーツ、小学生バレーについて考えていきたいと思います。
「本来、チームで統一した髪型を強制すること自体が人権無視の異常な行為であり、ましてや小学生の女の子にスポーツ刈りを強制することなどナンセンスの極みであるということを、真っ先に指摘するべきはスポーツ刈りを強制された少女たち本人であり、その姿を異常だと感じる親たちであるはずです。 ところが、本人たちからも、親たちからも、表だっては苦情が出されてはいません。 ですから少女たちのスポーツ刈りは、さほど世間を騒がせることもなく、今では歴史の一コマになってしまいました。」
やってましたねぇー。 さすがにスポーツ刈りじゃ、ありませんが短髪は確かに!定期的に泊まりで練習?合宿にいってましたから、女子なのにお風呂に入る時は男子ロッカーの鍵をもらうのは常、女子風呂に入ろうとすると「男子はあっちだよ」って。
確かに大人のエゴっていったらそれまでですが、私の考えはバレーボールっていうか、スポーツは男子○○、女子○○じゃなくてひとつのバレーボーラーというような概念があり、 汗をビッショリかき、全員でお風呂を入る機会も多く、みんなで同じ時間を共有するときにひとりだけ1時間もドライヤーをかけたり、最終的に人に迷惑を掛けたり、嫌な思いをする可能性があるなら、、、、”カッコイイバレーボーラー”とはって感じで短めの髪型を推奨していました。
確かに大人のエゴでした。 しかし、この問題こそ、日本ではタブー化された大問題ではって考えます。 仏教に始まる宗教的な髪形、軍国主義と勘違いするような義務教育である公立中学の丸ボウズ頭、高校野球のボウズ頭。 どれも行き過ぎのような気持ちもありますが、最近の教育問題を考えると一概に軍隊式の整列、制服、髪型なども100%ととはいきませんが日本の文化としていいこともあったのかとも考えざるをおえません。
女子のスポーツ刈りやボウズ頭には多少なりとも?な面はありますが(男子でも)、ただ大人のエゴとして片付けるのも?と感じます。 何年も前にある意味私から短髪を強要?された子供たちは今も短い髪型をカッコイイと感じてか、続け、その髪型を下級生や他のチームの子供たちも憧れてか、広まっているようです。 私自身が偏っているのでしょうが、どうみても女性としても格好よく、髪型も女性としても素敵と考えます。 ひとりくらい違った髪型をしている人もいていいと思いますが、社会から見ても、火を使うような仕事の人が引火しやすいような髪型が”危ない”、”合っていない”と思うことと同じように考えることは純粋に自然な発想とも考えます。
そうは云っても高校バレー全国大会女子決勝のスポーツ刈りチームを見たときにはさすがにビックリしたのも事実です。 しかし、変わった発想の指導を受けたいと思ったならそれもいいと思います。 過去、色んなスポーツ競技で優秀な成績をあげた日本人特有の新たなる発想で難局に立ち向かう精神のひとつかもしれません。
余り否定的な発言や揚げ足取りみたいな発想をするより、まず好意的に考えるような大人の見方をすることを薦めます。 人は間違いもしますが、間違う人、迷う人こそより進歩、成長する人でもあるのでは?
大人がまず自分の精神状態を把握、分析できるか、、、責任を伴う発言、行動できるかってことが大事になってきますかね♪
「ここから先は想像ですが、報告される体罰や暴力は、たぶん、負けてしまったチームの親、あるいはチーム内でレギュラーを逃してしまった子供の親、何らかの事情でチームを辞めた子供の親から告発されたものでしょう」
つづく
スポーツは「良い子」を育てるか大人が歪める少年スポーツ
著 : 永井洋一さんの 「 スポーツは良い子を育てるか 」を読み感銘を受け、この本を参考に少年スポーツ、少年バレーの現状について考えていきます。
母 「 やりたいんでしょ、バレーボール。 やりたいなら、もっと一生懸命やらなきゃだめよ。○○ちゃんに負けないぞっていう気持ちがなきゃだめなのよ。わかった?今度の練習のときに失敗したらだめだからね。 今度、しっかりできなかったらやめさせるらね、バレー。だからもっと真剣に練習しなさいよ、明日から。わかったね。 」
子 「・・・・・・・・・・・・」
子供は悲しそうな目をしてうつむいたままです。 母親は「このままできないなら、バレーはやめさせるからね。 それでもいいの?」 と問い詰めていましたが、子供の心中を察するなら 「もう、そんなにガミガミ言われるならやめたいよ」 っと思っていたのではないでしょうか。 しかし、母親の詰問口調の勢いでは到底 「やめたい」 などと言い出せる雰囲気はありません。 「やりたいんでしょ、バレー」っと誘導的な発言をされれば、子供は否応なしにうなずくしかないという状況でした。
こんな場面に出くわしたことありませんか? こんなことを言った憶えありませんか?
日常的に目にしていました。 保護者には 「何を怒られたの? 何が出来なかったの? 何回叩かれたの?」 ではなく 「何が出来たの? 何か褒められの? 何が面白かったの?」 とか、子供に対してマイナス思考的な発言はなるべく口にしないようにと言っていました。あと誘導的な発言も。 しかし、よーく考えれば私の目標の設定、究極の競技型の指導によって保護者の発言や考え方までに影響を及ぼしていたことは紛れもない事実だったんでしょう。
学校生活で競技型、順位分けが減らされだして何年か経ち、育っていった世の中の子供たちの動向をみると全体的に心や体が弱く、競争心に乏しい子が目立ち、日々の生活の中で小さな挫折みたいなものもろくに味わえず、ひとつ大きな問題に出くわすと立ち向かうことなく、拒否し引きこもってしまっている。
偽善化された過保護な環境が本来、大人になる途中の人間である子供を”子供”といった特別な生き物として扱いうような社会。
いつの間に子供による凶悪犯罪が増え歯止めが利かなくなってしまっている。 元服ではないが昔でいう成人に当たる15、6歳までに色々な経験をさせるべきだと考えます。
競争も、順位付けも、強制も、、、程度にもよりますが、イジメみたいなことも自然に起こることでその限度や範囲をちゃんと教えてあげればいいとも思います。
自分を正当化する気はもうとう有りませんが小学生だからこそ、集団の場でやってはいけないこと、 言ってはいけないことした時は別室や職員室に連れていきグチグチとお説教するよりもみんなのいる前でタイムリーに叱ってやること、限度によっては何も言わないで間髪いれずに平手で叩くような場面もなければ本当の意味での健全な精神は宿らないとも考えます。
学校教育を30年戻しましょうか? すぐには効果は現れないでしょうが必ず、健全な体力も学力もアップするでしょう。 全員が優等生になるわけではないでしょう、健全な不良?もまた現れるでしょうから。
競技型的な発想を義務教育である小・中学校には少しでも取り戻してもらい、スポーツ団体はまた新たな考え方でやるべきではと考えます。 しかし、この本のいうように競技型の全てが悪いとも考えません。
小学生バレーボールでは先天的な運動能力のある子が集る確率の高いチームでなくても、単一地域のみで、運動能力の余りない子が何人か混じっていてもルールやポジション、指導方法によって能力のある子が多いチームより強くなれる競技だと考えます。 チーム内でも最も運動神経のあるゴールデンエイジの典型のような子を最も運動能力のない子が上回れるんです。 バレーボールでは。 当然、全てではなく、役割分担した特定のポジションでのことですが。
逆に運動能力がある子がむちゃくちゃな格好でなんでも手を出して拾ってしまうので一時その運動神経そのものが習うことの邪魔になるために押さえたり、ポジションを替えたりしていました。 指導をろくにしない小学校では低学年から、、、中学校でも練習や練習試合で、まずは出来る子を真ん中に置いて、、、周りの子にはろくに指導しないし、、、、当然ボールを触る率が少ないわけですから、なかなか上手になりません。
バレーは2本目のレシーブ(トス)を攻撃に持っていければ最善なわけですから、本来ルール的にも1本目を余り巧く出来ない子に拾わせ2本目を1番上手な子に触らせアタッカーに持っていくということを繰り返せば、余り巧く出来ない子に度胸がつき、よりボールを触るわけですから上達のチャンスも増え、実力が2番目以降の子であるアタッカーのスパイクも上達するんじゃあ?最終的にはどういうポジションでもいいんですが。
まぁ、バレーはルール自体が競技型みたいですし、得点は全て相手の反則によるものと云った何とも悲しいルールでもあります。 暴言や暴力も反則に値するし、、、普通に得点とるのも反則によるもの。 バレーは元来のルール発祥の意識を修正して 「 得点を取ること=相手の反則 」 といった根本的なことの改正が必要だとも考えます。
云うは安し、、、、、でも、、、、目の前の問題には一石でも二石でも投じますよ。
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2007年06月28日
少年バレーの歪んだ世界。
今、読んでいる 「スポーツは良い子を育てるか?・・・(永井洋一)」 は読めば、読むほど納得することが多い。 競技型スポーツが蔓延している少年団、クラブチーム、部活動。 そしてその指導内容、、、。 まさに、今までの自分のやってきた指導、、、、自分のエゴ。。。そのもの。
まぁ、自分はイケイケだから、アレもコレやって目立ち過ぎて、いい気になって人様に迷惑を掛け、今に至るわけですが、、、、、。
この本とめぐり合って、、、、、スポーツの本質、子供の体力、子供の成長、指導内容、運動神経と子供、ゴールデンエイジとバレーボール、スポーツに接する大人の考え、親の考え、1スポーツ団体とは、地域スポーツ団体とは、部活動とは、指導・教育と日本の歴史・文化・宗教との係わり、管理したがる協会、バレーボールとは、、、、などなど、この本を読みながら深ーく掘り下げて考え、アップしていきます。
日々、修正、精進、反省しながらも、自分のDNA
を信じ、自由な発想で新しいバレーを創造し、追い求めていきます。
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