ab2353fd.jpg1892年 南方熊楠はイギリスのロンドンに渡った。大英博物館や、ケンシントン博物館美術館を訪ねたりしていて英国第一の週間科学雑誌「ネイチャー」「極東の星座」が掲載され一躍有名になり その後「ノーツ・アンド・クィアリーズ」にも寄稿を始めた。そして東洋学の権威者として名を馳せたんです。・・・大英博物館には毎日のように古今東西の用意には見れない書物を読みふけり 厚いノートに筆写した。そのノートは52冊もあり「ロンドン抜書き」として南方熊楠記念館に保存されていて英、仏、独、伊、スペイン、ポルトガル、ギリシヤ、ラテンなどの小さい字で書き込まれている。(主として考古学、人類学、民俗学、宗教学など)そして大英博物館日本書籍目録、大英博物館漢籍目録の編纂に尽力したようです。・・・・そして中国革命の父といわれる「孫文」に知り合い、高野山管長「土宜法竜」とも出会い生涯書簡の交流を続けたそうです。 でも熊楠は生活費を稼ぐことはせず日本からの送金に頼っていたが結局生活費に困り8年過ごし日本に帰国しました。帰国後もまたいろいろ始め、まぁーすごいよ!!!じゃあまた・・・ひろしでした。まだまだ続くよ、南方熊楠part 3へ・・・・!!!コメントしてね!

南方熊楠―森羅万象を見つめた少年